長距離航海者の広場
エッセイ
【テーマ:アンカリングについて】
アンカリングに関する経験の紹介等
(新月:2007年06月16日掲載)
◇はじめに
 アンカー、チェーン、アンカーウインドラス、ロープと言った装備やアンカリングの技術と言ったものは実に様々で、それらを一般論として語るには筆者の体験は足りなすぎます。従ってそれに関する講釈は各種読本にまかせるとして、ここでは筆者が実際に体験し、またその時に感じた事を幾つか紹介してみます。何かしらの参考になればと思うのですが。
◇チェーンとロープ
 日本を出る迄は岸壁に横付け、グアムではムアリングでの係留だった為、筆者が出航後初めてアンカーを打ったのはミクロネシアのポンペイでした。初めは鎖一本に船が何日もぶら下がっている事がどうしても信用ならず、スペアのアンカーとロープを引っ張り出して打ったりしましたが、これらは結局ちょっと吹いたり風向きが振れたりする度に抜けてしまい、全く役に立てることが出来ませんでした。台風ならともかく通常の強風程度でアンカーチェーンが切れる心配は無いのですが、初めのうちはどうしてもその事が納得出来ませんでした。
 アンカー索としてチェーンとロープを併用するのは非常に一般的ですが、外洋航海に出るならオールチェーンにすべきだと思います。コーラルや岩石の底質でも擦れて切れる心配が無いし、狭いアンカレッジにおいてスコープ(水深に対してアンカー策を何倍繰り出すかと言う比率)を低く抑えられるからです。ただ予備のロープは沢山積んでいきましょう。
◇アンカー
 アンカーの種類は色々言われますが、オールマイティーな製品は今のところ存在しないようです。筆者が使用していたのはブルースタイプのアンカーでしたが、不便に感じたことは殆どありませんでした。似たタイプにCQRタイプがあり、こちらの方がより優れていると言う人もいますが、残念ながら私は使った事がありません。これらはプラウアンカーと呼ばれるタイプで他にはデルタアンカーと言うのもあり、これは良いと言う評判もあれば、今一とも聞きます。
 オールマイティーなアンカーは無いわけなので、スペアアンカーには色々と異なる種類を用意することが有効です。一番難儀するのは岩場やサンゴ礁など、錨が潜ってくれない底質の泊地ですが、最後の手段としてフィッシャーマンタイプの大きなものがあれば良いとも言われます。しかしこれは重さだけで効かせるものなので、船内の置き場やデッキ上における取り回しが大変そうです。
◇日本で一般的なダンフォース型アンカー
 日本では非常に一般的なダンフォース型アンカーは、メインアンカーとしてはお勧めできません。なぜなら風が振れると非常に抜けやすいからです。アンカーは風が振れて引っ張られる角度が変わると一度抜けてしまいます。CQRやブルースと言ったプラウ型は、一度抜けても再び新たな角度で底に潜り込んでくれるのです。しかしダンフォーズ型はそうはいきません。一度抜けるとずるずる滑ってしまい、なかなか潜り込んではくれないのです。船を岸壁に槍付けする時や、前後左右に向けて錨を打つ場合など、基本的に錨索の方向が変わらない場合には有効ですが、この様な錨の打ち方はクルージングにおいては余り日常的には行いませんので、メインアンカーとしてダンフォース型を選択する事はお勧めできません。スペアアンカーは色々な種類があった方が良いので、スペアとして積むには良いと思います。
◇ウインドラス
 ウインドラスは必需品ですが、出来るだけ電動式の物を搭載する事をお勧めします。シングルハンドの場合は「必ず」と言っても良いでしょう。筆者はウインドラスの重要性を良く理解していなかった為に、シングルハンドであったにもかかわらず、搭載物を合わせれば総重量10トンを超す船で最初から付いていた手動式ウインドラスのまま出港してしまい、更にはやはり重要性の認識不足からメンテナンスを怠り使用不能にしてしまいました。ウインドラスが無いと機動力は恐ろしく低くなり、一度寄港地に着いてしまうと滅多な事では錨を抜く気にはなれません。例え抜く気になっても、只でさえ重いチェーンにより一層の荷重がかかるため、少しの風で大変に難儀します。ましてや強風下での抜錨はほぼ不可能と言って良いでしょう。恐らくチェーンごと錨を棄てるしかなく、そうする事で今度は移動先での係留に支障が出るなど、更に状況が悪化し船を危険にさらす事になります。筆者は結局不自由をしながらも何とかニュージーランド迄辿り着き、そこでようやく電動ウインドラスを取り付けましたが、それまでの間に緊急出港を余儀無くされる様なシチュエーションに遭わず、本当に幸運でした。しかし取付後の飛躍的に向上した機動力や活動頻度を思うと、手動式のまま出て来てしまった初めの判断が悔やまれてなりません。
◇ウインドラスが壊れたら
 途中までウインドラスが無かったお陰?で、ロープとウインチを使った揚錨方法を何度か実践する機会がありました。これはウインドラスが故障した時に使える方法の一つなので、ざっと紹介します。
 簡単に言えばS管状の金物をロープの一端に付けてチェーンに引っ掛け、そのロープをウインチまでリードして巻き上げると言う至極単純な方法ですが、バウからウインチまでを引き切ってもまだ錨が抜けない場合(殆どのケースでは、一回で抜けることは無いでしょう)は、一度チェーンの荷重をクリート等に移してからS管をバウ付近のチェーンに引っ掛け直し、再度ウインチで巻き上げる必要があります。この時チェーンの荷重をクリートに移すための細工(もう一組のS管とロープ等)が別途必要で、予め用意しておかないと急に必要になっても直ぐには準備出来ないかも知れません。平常時に一度試しておくと、いざと言う時慌てずに済みます。
◇アンカーが効かなかった事例
 電動のウインドラスが付いてからは気軽な移動が可能になり、結果的に多少なりともアンカリングの経験を積む事になりました。前述したブルースアンカーで不自由した事は殆どありませんが、ニューカレドニアで一度どうしても錨が効かなかった時があり、この時は夕方一時間程粘って結局日が暮れてあきらめ、別の場所に移動しました。底質はサンゴと岩と小石でしたが、プラウタイプはこの手の底質だと引っ掛かるだけなので、岩や死んだサンゴが小石に埋まっているだけの場合、それにアンカーが噛んでも少し後進をかけると岩やサンゴの破片ごと抜けてしまいます。おまけに小石が大粒だったりすると、アンカーは上手く潜り込んでくれず、何時までもずるずる滑ると言う事が起こるようです。船が止まったと思っても直ぐには安心せずに、思い切りアスターン(後進)をかけて完全に効いているか必ず確認しましょう。
◇走錨した事例
 ニュージーランドでは一度本格的に走錨した事があります。気圧の谷間に入って強風が吹くことが事前に予想されたので、以前から何度か入った事があり勝手の分かる泊地で、自分としては万全の準備(水深の十倍近くチェーンを出し、ウインドラスに直接負荷がかからない様にチェーンからロープをクリートにとり、充分な擦れ止めを施す等)した積もりで待ちかまえました。夜に入って吹き始めた風は夜中にはかなり強くなりましたが、充分な準備もし、またそのアンカレッジは適度な水深が風下方向に1キロ程続く所だったので、安心して寝ようとしました。一応念のためにGPSで位置確認をしてみると、何と走っているではありませんか。幾ら風下側に1キロルームがあると言ってもその向こうは岩場と陸地です。走り続ければ一巻の終わりなので、慌てて外に飛び出し、錨を巻き上げて元いた場所付近に戻って打ち直しました。幸いブロウは断続的なもので、風の合間ではアンカーと長く出したチェーンの重みなどもあってか、船は止まってくれたのです。しかし打ち直してもまた走っては止まり走っては止まりを繰り返すので、結局朝まで起きている羽目になりました。明るくなって横を見ると、割と近くに地元の船も流されていました。その後再び最初の場所まで船を戻すと、何時の間に入港したのか、別の船が泊まっていました。底質の所為で走ったと思ったのでちょっとショックでした。翌日は移動する気が失せたので新しく入った船の錨が何なのか確かめようと抜錨を見張っていたら、デルタアンカーでした。底質が小石や貝殻の場合先端のあまり鋭く無いブルースはしっかりと食い込んではくれないのかも知れません。しかし後日ニュージーランド人の友人にこの話をすると、彼らはCQRを使っていて、やはり同じ場所で走った事があると言う事だったので、結局アンカーの良し悪しとも判断は出来兼ねるようでした。
◇アンカーチェック
 錨を打ち終わったら海に入って目視でアンカーチェックをするのはとても有効です。実際多くの船はこれを実践しているようです。しかし筆者は余りこれをしません。人気の無いような泊地ではまずしません。本当はやったほうが良いのは分かってしましたが、やりませんでした。何故かと言いますと、他の船に聞いた話ですが、オーストラリアでとある夫婦が錨を下ろし、ご主人が錨の効きを確認しようと素潜りで潜ったところ、なんとワニに襲われて奥さんの目の前で亡くなってしまうと言う事件があったそうなのです。初めにその話を聞いたときは「またまたぁ、人を怖がらせようとして」とか思ったのですが、別の船に遊びに行ったときにまた同じ話を聞き、その船のご主人は家具職人さんだったのですが、実際に木製の墓標を作ったとかで写真も見せてもらったのです。それですっかりビビッてしまい、以後アンカーを打った後に潜ってチェックをする事には、あまり熱心ではなくなってしまいました。しかしこんな事を書いておいて言うのはおかしいですが、目視のチェックはとても有効です。必ずやらねばと言う人もいるそうですよ。
◇係船装備は十分に
 筆者は結果的にアンカリングにおける大きなトラブルに遭う事はありませんでしたが、自らの装備は不充分であったと今でも反省しています。ウインドラスはやはり出港前に電動式を取り付けておくべきだったし、アンカーはメインの他に同じ位のサイズで別のタイプをもう一本用意していくべきだったし、チェーンは途中で継ぎ足して70メートルにしたのですが最初からそれ位用意しておくべきでした。
 日本の船は兎角スペア部品の類を大量に積み込んで外国艇に笑われます。もちろん筆者も例外ではありません。この事の良し悪しはここで語るのはやめておきますが、どんな船にしろアンカーやロープ等船の安全に直接関わるような装備は、充分な予備が必要かと思います。
◇予備知識は重要
 誠に恥ずかしい話ですが、筆者は日本を離れる迄、二回しか自分で錨を打った事がありませんでした。そして外国に行っても、何となく船は岸壁や桟橋に泊められるものと、漠然とそう考えていました。その為にクルージングにおいてあれほど重要度の高いアンカリングに関する知識・装備・経験が、大きく不足した状態で出港してしまいました。経験に関しては先に書いた通りですが、装備として不十分だったのは電動ウインドラス、知識としてはアンカリングそのものの重要性に対する認識が甘く、オリジナル装備だった手動ウインドラスの整備を怠り結果使い物にならなくしてしまいました。この事で航海前半は本当に難儀しました。勉強不足であったと、今でも反省しております。
 アンカリングの技術と言ったものは、色々な環境で経験を積まなければ身に付くものでは無いと思いますから、経験は大事と言っても出航前に出来る準備には限界があるでしょう。ただ予め予備知識を持つのと何の知識も無いのとは、やはり大きな差があるのできちんと勉強して行かないと現場で戸惑うことになります。海外では殆どの泊地における係留方法はアンカリングしか選択肢が無く、アンカーやチェーン、その周辺装備にはほぼ毎日お世話になります。余計な心配、手間、出費を避けるためにも、最低限の予備知識を身に付けておきましょう。
「新月」 Gib's Sea 414 Plus
航海時期 2002〜2005
航海エリア 横浜〜八丈島〜小笠原〜グアム〜ポンペイ〜コスラエ〜バヌアツ〜ニューカレドニア〜ニュージーランド〜トンガ〜フィジー〜ニューカレドニア〜ニュージーランド