長距離航海者の広場
重要情報
【GPSと測地系について】
GPSを用いたナビゲーションにおける注意点
(2006年09月21日記掲載)
◇GPSとクルージング
 昨今のクルージングに於いて、GPSが欠かせない航海機器であると言うことに異論のある人は多くないでしょう。GPSがクルージングシーンに与えた恩恵を、私のようなつい最近ボートに乗り始めた人間が真に実感するのは難しい事かも知れません。ただ確かに言えるのは、GPSを持つと言うことは単に便利であるだけでなく、安全面においても非常に有効であると言うことです。かつては慣れた人でも一海里の誤差は致し方なく、時間を空けて数度計測する必要があり、天気が悪ければ計測自体が不可能だった六分儀に比べ、今ではGPSのおかげで船内にいながら数十メートル単位の精度で自船の位置を一瞬のうちに知る事が出来ます。GPSの出現と普及により、夜間や霧中航行であってもかつてでは考えられないほど確実なナビゲーションが可能になり、危険回避も容易になりました。
 しかしここで注意しなければならないのは、GPSに頼り過ぎたり、盲信してはならないと言うことでしょう。電子機器なので水に弱いのはもちろんだし、故障その他の原因で衛星からの信号が受信出来なくなってしまえばそれまでです。ただその類のリスクはGPSに限ったものでは無いので一先ず置いておく事として、ここではGPSが正確であるが故に陥るかもしれない危機に関連して、測地系の問題を説明してみましょう。
◇世界測地系とそれ以外の測地系
 クルージング、特に沿岸部でのクルージングに於いてGPSを使用する際に、特に留意すべき点が一つあります。それは自分の今見ている海図の測地系が、WGS84であるか否かを確実に把握すると言う事です。測地系と言うのは詳しい定義に関してはこちらを見てもらうとして、簡単に言えば地図や海図を作る上での基準点の事で、GPSが普及する以前まで各国の海図は各々の国が定めた別個の測地系の下で描かれていました。例えば日本では日本測地系が、アメリカではアメリカ測地系が使われていたのです。一方、現在GPSの位置情報を決めるのに使われているのが、世界測地系(WGS84)です。
 WGS84とその他の測地系は異なる基準点を持つため、そこから導き出される緯度経度に若干のズレがあります。WGS84に関する詳しい説明はやはりこちらを見てもらうとして、大事なのはGPSが示す緯度経度をWGS84「以外」の測地系で描かれた海図にプロットしても、正しい位置に記入した事にはならないと言う事実です。
 GPSの普及に伴い、各国では海図を世界測地系で描かれたものに刷新する作業が進められています(日本では平成14年から切り替わったそうです)が、まだ世界中全ての海図がWGS84で描き直されたわけではありません。測地系が違う場合に生ずるズレは400から500メートル程度と言う話なので、もし測地系が違っても広域の海図を使っての外洋におけるナビゲーションには殆ど影響が無いでしょう。しかし沿岸部では時として致命的な誤差となるので、夜間など見通しの悪い状況下では充分な認識が必要なのです。
◇注意すべきは沿岸部
 筆者が航海した海域の中で、測地系やGPSでの運航上特に気を使ったのはトンガとフィジーでした。 トンガやフィジーは古くはイギリスの植民地であったため統治時代に海図が整備され、また海上標識なども充実していたことが図中からうかがえます。しかし現在彼の国々の財政は豊かとは言えず、海図を世界測地系に刷新することはおろか、台風で流された航路標識の再建すら覚束無いのが現状です。
 サンゴ礁の散在する熱帯の海域で、GPSと海図の測地系は合わず、目標とすべき浮標やビーコンは存在しないとなると、リーフとリーフの間に開いたチャンネルを抜ける時など非常に神経を使います。幅1キロメートルのチャンネルのど真ん中を抜けている積りでも、もしGPSと海図の測地系が異なっていれば実際は殆どリーフ際を走っていることになるかもしれません。このような時にはやはり予め海図の測地系をしっかりと確認し、補正情報の有無を確かめた上でアプローチが可能か否かを判断すべきでしょう。天候や時間帯次第では海面の色を見分けることが難しいケースも考えられます。
 このように、測地系の相違がもたらす400メートルから500メートルのずれが問題になってくるのは沿岸部に於いてです。出航前に念入りな航海計画を練り、ハザードを確実に回避するためのウェイポイントを細かくGPSに入力する事も勿論大事です。しかしいざ海の上を走り出したのなら、電子機器の上に引いた架空の線とのにらめっこにばかり熱中しないで、しっかりと船の周りに目を配りましょう。
◇位置情報の補正
 GPSの表示した緯度経度をWGS84以外の測地系の海図にプロットする場合、また逆にその海図からウェイポイントを拾ってGPSに入力する場合には、海図内の記載に従って数値を補正してやらなければなりません。海図に記載が無い等、補正に必要な情報を持たない場合には、測地系の誤差を考慮に入れた上での余裕を、避航物との間に充分取れるようなナビゲーションを心掛けましょう。
 多くのGPSには、測地系の切り替え機能が搭載されています。海図上にGPS(WGS84)に対する補正情報の記載が無い場合、逆にGPSの測地系を海図に合わせてやっても、ポジションの補正は可能かと思われます。但し残念ながら、筆者はこれを実際に試した経験が無いので、確実な方法であると言う事は出来ません。また、一部の国に関しては、出回っている海図の測地系が同一国内であるにも関わらず、異なっている場合もあります。例えば筆者の経験では、アメリカのチャート販売会社で購入したフィジーの海図には、海域によって異なる測地系で描かれた物がありました。このような場合は、陸地やハザードの近くに接近する前に、逐次海図とGPSの測地系を合わせるのを忘れないよう注意しましょう。
※ここで言う、「GPSにウェイポイントを入力する」とは、電子海図データを持たないタイプのGPSに位置情報を記憶させる行為の事です。予め世界測地系で描かれた電子海図を内蔵したGPSを使用する場合は、この限りではありません。
◇複数の情報から総合的に判断を
 さて、海図とGPSに於ける測地系の相違と、それに伴う現実的な問題点について書いてきましたが、沿岸部のクルージングや泊地へのアプローチの際に最も重視、多用し、そして最終的に一番頼りにすべき自船位置の確認方法は、目視です。多くのセーラーが述べているように、「最後は目が大事」なのです。岬や山、海岸線の見える角度や位置関係。小島や岩、リーフや海の色。目に見える全ての情報は、海図やクルージングガイドと矛盾していないか。逆に海図やクルージングガイドには載っていない危険物は無いか。あくまでも自らの目で確認し、何か少しでも違和感を感じたなら、もう一度GPSも含めて手持ちの全ての情報を検討し、目視を慎重にやりなおして問題が無いかどうかを再確認すべきでしょう。またデプス(測探機)の表示する数値が、自分のいるべき海域の水深と大きく異なっていないかどうかを海図で照合するのも、安全確認における一つの有効な手段です。複数の情報を照らし合わせて、総合的に判断することが大事です。
 夜間に灯台や浮標等、GPS以外に位置確認の出来る情報を持たない場合には、陸地やハザードとの間に充分なマージンをとるようにしましょう。夜間入港は止めるべきです。GPSがあまりに正確な位置情報を提供してくれると言う安心感のため、それだけを頼りに初めての泊地に夜間入港を試みる人が少なく無いと言う話を耳にすることがありますが、そのような行為は絶対に慎まなければなりません。
◇GPS環境への理解と、システムとの適度な距離感
 いまやGPSは最も重要な航海計器の一つと言えるでしょう。実際のクルージングにおいても、ナビゲーションの多くはこの驚くほど簡易な機器に負っています。しかし海上航行の長い歴史から見ればとても新しい技術なので、海図の測地系のように対応すべき問題がまだ残されています。日本や欧米諸国のように、ルールが変われば海図も刷り直す、そういった「新しさ」「便利さ」への対応が直にとれない経済状況の国は幾つも存在するので、クルージングに訪れる際には、きちんとその事を理解し、対応出来るような準備をしておきましょう。
 また、便利さを過信したり惑わされたりしないよう、「これは幾つかある道具のうちの一個に過ぎない」と少し距離を置いてみるのも、様々なトラブルを上手に消化しながら走り続けねばならない外洋クルージングにおいて、GPSと適度に付き合う一つの方法かも知れません。